上田地域自然電子図鑑-千曲川と上田地域の自然 はじめての方へ
サイトについて
千曲川の生き物河川のはたらき上田と千曲川-生活と歴史サイトマップもっと知りたい方へ
 
戻る


千曲川の災害の歴史



水天宮・水神

水天宮・水神
御所の水天宮
千曲川の水衝部に当たる堤防上に祀られている

上田盆地の千曲川沿岸の各集落では洪水から村を守るため、水難に遭わないため水天宮を祀っている。水天宮を祀る位置は集落の上方千曲川堤防の近くかまたは堤防上で水衝部等重要な場所に祀ってある。左岸の御所水天宮は上田橋の下流100mほどの霞堤となる場所にあり、千曲川がかつて曲流する水衝部に位置している。ここには天宝11年(1840)と明治16年(1883)の石祠が鎮座する。ここは寛保2年(1742)の洪水で御所村が大被害を受けたところで、流失家屋30戸、浸水家屋19戸、田畑は流失し川原と化した。

水天宮のお祭りは毎年5月5日、地元の御所・三好町・漁業組合が神官を招いて行われている。かつては堤防の上に村人大勢が集まり、餅をついたり、相撲をとったりして祀りを盛り上げた。これは堤防の土を固めるためという言い伝えがある。

ここの立札には水徳・水難・安産・火災除の神の記載があり、鳥居は漁業組合が建立したものである。これは千曲川での川魚漁獲と関係し、水徳の神として祀られている。

また、右岸最下流にある塩尻地区の水天宮は下塩尻中島にある。かつては大花堤防の水衝部に当たる位置に祀られていたが工場敷地になったため移動し、現在は大花堤防と大日堤防(桜堤防)間に祀られている。また、中島の天神社の祀られているところは中島集落の最南端、大日堤防(桜堤防)に近い位置である。この堤防が破堤すると中島は水害に遭うということで、この重要な位置に天神社を祀り、水難からのがれる役割を果たしていた。しかし低地なるが故、ご神体は現在でも高所に鎮座しているのが特色である。

戻る
ページの上へ
進む
 
上田地域千曲川自然電子図鑑
写真・図・掲載内容の著作権はそれぞれ、所蔵者ならびに出典者に帰属します。
All Rights Reserved. Copyright © Ueda City Multimedia Information Center -UMIC-